柏市豊四季 窓ガラス越しの暗渠
突然ですが、千葉県を応援します。
5年ぶりに暗渠を歩いてみるにあたって、まずは知らない所、歩いたことのない場所、を探しました。
知っている所や歩いたことのある場所では、取り上げてしまうとどんどん膨らんでいって収拾がつかなくなってしまいそう。以前とは違うところで、あまり深くは掘り下げない、というスタイルで何本か記事を書いてみたいと思います。
千葉県に特に意味はないんですが、千葉VS埼玉という企画があるらしく、わたしが好きなのはどちらかというと千葉なので、便乗して応援してみたい!という少し不純な動機です。
文章多めなのでご注意です。
この暗渠を初めて見たのはもう30年前になります。
柏駅と豊四季駅の間の、東武野田線の車中から暗渠が見えるのでした。
むかしの東武野田線は、郊外をのんびり流して走っている、亀のような電車でしたが、どういうわけかこの区間だけは、ほんの少しだけやる気を出して、兎になるのです。
駅と駅の中間あたりに谷があり、どちらから来ても下り坂でスピードに乗って、上り坂を全力で上っていく、一番ダイナミックな場所がここなのです。
30年前の、初めて来た頃は、クリーム色の古い電車が走っていました。ドドドドと迫力のある足音でホームに入ってきて、乗り込むと強烈な唸り音を発しながら走り出します。冷房のない車内は夏は窓が開けっ放しで、話し声も聞こえないような轟音が響き渡ります。住宅街を抜け畑を抜け、モーターがひときわ甲高い音を立てはじめると、この谷にさしかかって周囲が全てひらけ、同時に煩かった轟音の反響がなくなり、さわやかな空気が通り過ぎていくのでした。
そんな風景を開け放たれた窓から見ていたような記憶があります。
月日が流れ、冷房が入って景色を窓ガラス越しに見るようになっても、轟音を響かせて谷を渡る風景は少しも変わらず、まるで永遠にそのままのように思えました。
電車の音が唸り音から回転音に、そして転調音に変わりました。
連結部にドアができると、踏切でのあの、小気味よい金属音も聞こえなくなりました。
いつしか何の刺激もない車内で、飽き飽きした景色に背を向けて眠って過ごすのが日常になっていきました。
風も音も感じられなくなった電車と同じように、風景も変わっていくのだとようやく気づきました。
そして、昔のように、窓ガラス越しでなく直接見てみたいと思ったのです。
豊四季駅は長閑な駅でしたが、駅を出ると様子はずいぶん都会的になっていました。迷子になりながらも谷に下りていき、ようやく目的地を探し出せました。
線路をくぐる大きな道路が、暗渠のあったところにできていました。
下流側(北側)には、まだ昔からの暗渠道が残っています。
上流側から。東武野田線の築堤は暗渠時代のままの低いものなのが、電車の大きさからわかります。道路はかなり潜って通り抜けています。
上流側は中央に植え込みのある、暗渠らしい広い道路になっています。この道路は築堤にガードができるずっと前からありました。
この暗渠は北を流れる大堀川の支流です。大きな谷戸を形作っていて辿り甲斐のある暗渠なのですが、今回はあまり深入りしないでいくことにします。
谷戸の西側の端を歩いていきます。
線路を越えて上流に向かっていくと、蛇行する道が始まっています。
崖下っぽいアイテムもちらほらと。
分かれ道で三角状になっている場所に公園があります。
公園の端っこに区画整理の記念碑がありました。昭和49年とのこと。40年以上前に谷戸は田んぼと川から、住宅地と暗渠になっていたようです。成る程田んぼの記憶は全くありません。
そのまま谷戸の西端を歩いていき、道路に突き当たりました。
区画整理前の航空写真を見てみると、袋状の谷頭と水田が綺麗に写っていましたが、現在は住宅地になっているので跡は追求せずにおきます。暗渠化されたあとの記憶しかわたしにはないので、その記憶を確かめられれば充分。
つくばエクスプレスが開業してからのここ10年ほどで、このあたりは開発が進み景色もずいぶん変わってしまいました。
記憶の中ではただの土手だった暗渠と線路の交差に、大きなガードができていたのは驚きです。それまで、おそらく暗渠化後30年くらいは、ほとんど変化のない風景だったはずです。それが変わってしまったとき、大本の川の記憶、現在の道路の記憶、それらは残っていっても、その中間の暗渠の記憶というのは、忘れられていくのかもしれないと思います。
何もない誰も通らない暗渠がそこにありました。少なくともわたしは、そんな暗渠の記憶も大事に思っています。
5年ぶりに暗渠を歩いてみるにあたって、まずは知らない所、歩いたことのない場所、を探しました。
知っている所や歩いたことのある場所では、取り上げてしまうとどんどん膨らんでいって収拾がつかなくなってしまいそう。以前とは違うところで、あまり深くは掘り下げない、というスタイルで何本か記事を書いてみたいと思います。
千葉県に特に意味はないんですが、千葉VS埼玉という企画があるらしく、わたしが好きなのはどちらかというと千葉なので、便乗して応援してみたい!という少し不純な動機です。
文章多めなのでご注意です。
この暗渠を初めて見たのはもう30年前になります。
柏駅と豊四季駅の間の、東武野田線の車中から暗渠が見えるのでした。
むかしの東武野田線は、郊外をのんびり流して走っている、亀のような電車でしたが、どういうわけかこの区間だけは、ほんの少しだけやる気を出して、兎になるのです。
駅と駅の中間あたりに谷があり、どちらから来ても下り坂でスピードに乗って、上り坂を全力で上っていく、一番ダイナミックな場所がここなのです。
30年前の、初めて来た頃は、クリーム色の古い電車が走っていました。ドドドドと迫力のある足音でホームに入ってきて、乗り込むと強烈な唸り音を発しながら走り出します。冷房のない車内は夏は窓が開けっ放しで、話し声も聞こえないような轟音が響き渡ります。住宅街を抜け畑を抜け、モーターがひときわ甲高い音を立てはじめると、この谷にさしかかって周囲が全てひらけ、同時に煩かった轟音の反響がなくなり、さわやかな空気が通り過ぎていくのでした。
そんな風景を開け放たれた窓から見ていたような記憶があります。
月日が流れ、冷房が入って景色を窓ガラス越しに見るようになっても、轟音を響かせて谷を渡る風景は少しも変わらず、まるで永遠にそのままのように思えました。
電車の音が唸り音から回転音に、そして転調音に変わりました。
連結部にドアができると、踏切でのあの、小気味よい金属音も聞こえなくなりました。
いつしか何の刺激もない車内で、飽き飽きした景色に背を向けて眠って過ごすのが日常になっていきました。
風も音も感じられなくなった電車と同じように、風景も変わっていくのだとようやく気づきました。
そして、昔のように、窓ガラス越しでなく直接見てみたいと思ったのです。
豊四季駅は長閑な駅でしたが、駅を出ると様子はずいぶん都会的になっていました。迷子になりながらも谷に下りていき、ようやく目的地を探し出せました。
線路をくぐる大きな道路が、暗渠のあったところにできていました。
下流側(北側)には、まだ昔からの暗渠道が残っています。
上流側から。東武野田線の築堤は暗渠時代のままの低いものなのが、電車の大きさからわかります。道路はかなり潜って通り抜けています。
上流側は中央に植え込みのある、暗渠らしい広い道路になっています。この道路は築堤にガードができるずっと前からありました。
この暗渠は北を流れる大堀川の支流です。大きな谷戸を形作っていて辿り甲斐のある暗渠なのですが、今回はあまり深入りしないでいくことにします。
谷戸の西側の端を歩いていきます。
線路を越えて上流に向かっていくと、蛇行する道が始まっています。
崖下っぽいアイテムもちらほらと。
分かれ道で三角状になっている場所に公園があります。
公園の端っこに区画整理の記念碑がありました。昭和49年とのこと。40年以上前に谷戸は田んぼと川から、住宅地と暗渠になっていたようです。成る程田んぼの記憶は全くありません。
そのまま谷戸の西端を歩いていき、道路に突き当たりました。
区画整理前の航空写真を見てみると、袋状の谷頭と水田が綺麗に写っていましたが、現在は住宅地になっているので跡は追求せずにおきます。暗渠化されたあとの記憶しかわたしにはないので、その記憶を確かめられれば充分。
つくばエクスプレスが開業してからのここ10年ほどで、このあたりは開発が進み景色もずいぶん変わってしまいました。
記憶の中ではただの土手だった暗渠と線路の交差に、大きなガードができていたのは驚きです。それまで、おそらく暗渠化後30年くらいは、ほとんど変化のない風景だったはずです。それが変わってしまったとき、大本の川の記憶、現在の道路の記憶、それらは残っていっても、その中間の暗渠の記憶というのは、忘れられていくのかもしれないと思います。
何もない誰も通らない暗渠がそこにありました。少なくともわたしは、そんな暗渠の記憶も大事に思っています。
by blognest
| 2016-03-08 21:16
| 千葉県好きですか
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
ブログパーツ
最新の記事
金杉台地の谷(3) 生きてい.. |
at 2016-03-29 23:42 |
金杉台地の谷(2) 中川低地へ |
at 2016-03-29 02:24 |
金杉台地の谷(1) 西金野井.. |
at 2016-03-28 02:50 |
庄内の"島"の成り立ち |
at 2016-03-27 01:35 |
坂川支流(3) 常磐線との交.. |
at 2016-03-09 00:19 |