金杉台地の谷(3) 生きている廃川
ひきつづき、金杉台地の谷を巡ります。
今回は、過去2回で辿ってきた谷とは別の、東側を流れる谷を下流から上流へさかのぼっていきます。
春日部市立川辺小学校近く、中川低地の北東縁を流れる用水路の堀端にやってきました。ここから伸びている道は細くて暗渠らしさがあるのですが…?
用水路の側には写真のような、水門を伴った逆止弁つきの排水口しかありません。こちらは合流口ではないようです。
r42。暗渠はここからはじまります。
道と暗渠がきれいに半分に分かれています。
小学校のはずれで少し折れています。正面に続く通路は横の小さな墓地に入っていくのですが、新しそうでもあり何か気にかかります。台地の縁なので、もしかしたら湧水が湧いていた等、利用されにくい立地条件だったのかもしれません。
すぐ先で開渠になります。下流の暗渠を振り返ってみたところです。谷底ではなく谷の東縁を流れていて、道や地面と高低差があるのがわかります。
開渠をさかのぼります。交差する道と水面とはかなり高低差があります。
この先で開渠は東に直角に折れます。このあたりは金杉台地の谷(2) 中川低地へでの、蛇行蓋暗渠を抜けて西からの開渠と合流する地点の裏手です。本来はこの開渠も一緒に合流していたものが、谷の東縁に分離して付け替えられたのではないでしょうか。
直角に曲がります。このあたりは地形上、周囲に降った雨が集まってくるので、水が溜まりやすいのでしょう。この開渠が分離されているのは滞留をなるべく避けるためなのかもしれません。
曲がる地点から下流側を見ます。欄干代わりのガードレールがずっと続いていくのが見え、一直線のまっすぐな流路なことがわかります。
上流側。こちらもまっすぐに続いていきます。
1ブロック先で道を斜めに横断します。
まっすぐの開渠から蛇行する暗渠に変わります。
蛇行・護岸・パイプの3点セット。
橋の跡とパイプ。この先は柵がついていて入れません。
柵の向こう側の暗渠は苔むしていました。
橋と車止め。その先にはつきあたりが見えています。
つきあたりの正体は、金杉台地ではお馴染みとなった雨水調整池でした。
この調整池は今まで見てきた、水路とは独立して雨水だけを溜め込むものと違い、水路と一体となって流れを一旦プールするダムのような構造になっています。
調整池に流れ込んでくる水路が見えます。
裏側に回りこみます。住宅の間から調整池に落ちていく水路があります。
水路は住宅地の街路の側溝となって上流に続いていきます。
側溝はこの先で終わるのですが、その手前の消火栓のあたりが気になります。
何かが合流してきます。
裏側に回ってみてみると、ところどころ蓋の欠けた水路です。
その先はダイナミックな風景が広がっています。
わずかな空間ですが、台地上から自然のままの谷を見下ろす感覚が味わえます。
右にまっすぐ続くのが谷底の側溝水路、左に続くダイナミック空間は住宅の裏手を半円状に迂回しています。
その分岐点で側溝はくるりと向きを変えて・・・
細いU字溝となってスーパーの裏手に消えていきます。
回り込んでスーパーの表側に出てきました。
スーパーとドラッグストアの敷地の境界に奇妙な段差があります。このあたりが上流端になります。
以上で金杉台地を刻む谷の紹介は終わりです。簡単に総括してみましょう。
これらの谷は離れ小島のようになってしまった庄内領の台地の上にあります。水源としてはあまり豊かではないでしょう。
前半の2本の記事で紹介した谷は、源流こそまとまった空間が残されているものの、途中は住宅地に利用されるか否かという違いはあるものの、ほぼ全ての土地が開発されて川跡の面影を残す場所はあまりありません。
降った雨水は谷底に流れ込む前に雨水溝に誘導され、川跡や暗渠を介しません。
今回の記事で紹介した谷は、住宅地として開発されながらも、開渠/暗渠やそれに伴う空間がはっきりと残されています。
ダイナミック空間の反対側あたり、住宅街となっても谷底の水を集める小水路が健在です
この二者の違いをどう捉えればいいでしょうか。
一つの見方をすれば、前者は利用できる土地を有効に活用しているといえます。大部分の土地は住宅と道路になり、駐車場や空き地になっている土地も、何かに利用されることが前提になっています。利用できない部分も綺麗に整備されて、もとの地形や川をあまり感じさせない雰囲気になっています。
翻って後者は開渠など、未整備の利用されない土地がそのまま残り、開発と未開発が混在しています。土地利用としては効率が悪いといえるかもしれません。お世辞にも綺麗で清潔とはいえない未開発の空間は、古臭さを隠しようもありません。
この見方では、前者は新しく洗練されていて、後者は古くて野暮ったいということになります。
では反対の見方をしてみてはどうでしょう。水の流れに着目していえば、見える印象からだと前者は水の流れが希薄です。雰囲気だけではなく実際に、流れる水量が少ないのではないかと思います。整備されて水の流れが断ち切られる以前から、あまり水量豊かではなく雨水を流す役割が主だったように感じられます。川としては早くに役目を失っている、つまり古い存在だったのかもしれません。そして古くて役割がないゆえに、開発され姿を失うこともできたのでしょう。
後者は水の流れが濃厚です。実際に開渠で流れを目にすることもでき、現在も水が流れていることがはっきりわかります。そして水路本体や周囲の様子からも、一定の水量が流れている川であることが読み取れます。川としての役割を保っているからこそ、開発されても姿が残ってしまったということになります。住宅地化したときには、またこの谷は現役使われる、新しいものでした。
川としての見方では逆に、前者は古くて不要なもの、後者は新しくて必要なものになってしまいます。
地上で新しいものが地下では古く、地上で古いものが地下では新しい、その相反する二面性を両者はもっています。それは千葉であって、埼玉である。中川低地という海に面していて、台地という島である。二面性をもったこの土地の因縁によっても飾られています。
埼玉応援記事と題しながら千葉の話題を前面に出してきてしまって反省しています。
もちろん千葉も埼玉もどちらも応援していますので、どっちも勝者になることを期待しています。
こちらの記事にも、続編はおそらくありません。
今回は、過去2回で辿ってきた谷とは別の、東側を流れる谷を下流から上流へさかのぼっていきます。
春日部市立川辺小学校近く、中川低地の北東縁を流れる用水路の堀端にやってきました。ここから伸びている道は細くて暗渠らしさがあるのですが…?
用水路の側には写真のような、水門を伴った逆止弁つきの排水口しかありません。こちらは合流口ではないようです。
r42。暗渠はここからはじまります。
道と暗渠がきれいに半分に分かれています。
小学校のはずれで少し折れています。正面に続く通路は横の小さな墓地に入っていくのですが、新しそうでもあり何か気にかかります。台地の縁なので、もしかしたら湧水が湧いていた等、利用されにくい立地条件だったのかもしれません。
すぐ先で開渠になります。下流の暗渠を振り返ってみたところです。谷底ではなく谷の東縁を流れていて、道や地面と高低差があるのがわかります。
開渠をさかのぼります。交差する道と水面とはかなり高低差があります。
この先で開渠は東に直角に折れます。このあたりは金杉台地の谷(2) 中川低地へでの、蛇行蓋暗渠を抜けて西からの開渠と合流する地点の裏手です。本来はこの開渠も一緒に合流していたものが、谷の東縁に分離して付け替えられたのではないでしょうか。
直角に曲がります。このあたりは地形上、周囲に降った雨が集まってくるので、水が溜まりやすいのでしょう。この開渠が分離されているのは滞留をなるべく避けるためなのかもしれません。
曲がる地点から下流側を見ます。欄干代わりのガードレールがずっと続いていくのが見え、一直線のまっすぐな流路なことがわかります。
上流側。こちらもまっすぐに続いていきます。
1ブロック先で道を斜めに横断します。
まっすぐの開渠から蛇行する暗渠に変わります。
蛇行・護岸・パイプの3点セット。
橋の跡とパイプ。この先は柵がついていて入れません。
柵の向こう側の暗渠は苔むしていました。
橋と車止め。その先にはつきあたりが見えています。
つきあたりの正体は、金杉台地ではお馴染みとなった雨水調整池でした。
この調整池は今まで見てきた、水路とは独立して雨水だけを溜め込むものと違い、水路と一体となって流れを一旦プールするダムのような構造になっています。
調整池に流れ込んでくる水路が見えます。
裏側に回りこみます。住宅の間から調整池に落ちていく水路があります。
水路は住宅地の街路の側溝となって上流に続いていきます。
側溝はこの先で終わるのですが、その手前の消火栓のあたりが気になります。
何かが合流してきます。
裏側に回ってみてみると、ところどころ蓋の欠けた水路です。
その先はダイナミックな風景が広がっています。
わずかな空間ですが、台地上から自然のままの谷を見下ろす感覚が味わえます。
右にまっすぐ続くのが谷底の側溝水路、左に続くダイナミック空間は住宅の裏手を半円状に迂回しています。
その分岐点で側溝はくるりと向きを変えて・・・
細いU字溝となってスーパーの裏手に消えていきます。
回り込んでスーパーの表側に出てきました。
スーパーとドラッグストアの敷地の境界に奇妙な段差があります。このあたりが上流端になります。
以上で金杉台地を刻む谷の紹介は終わりです。簡単に総括してみましょう。
これらの谷は離れ小島のようになってしまった庄内領の台地の上にあります。水源としてはあまり豊かではないでしょう。
前半の2本の記事で紹介した谷は、源流こそまとまった空間が残されているものの、途中は住宅地に利用されるか否かという違いはあるものの、ほぼ全ての土地が開発されて川跡の面影を残す場所はあまりありません。
降った雨水は谷底に流れ込む前に雨水溝に誘導され、川跡や暗渠を介しません。
今回の記事で紹介した谷は、住宅地として開発されながらも、開渠/暗渠やそれに伴う空間がはっきりと残されています。
ダイナミック空間の反対側あたり、住宅街となっても谷底の水を集める小水路が健在です
この二者の違いをどう捉えればいいでしょうか。
一つの見方をすれば、前者は利用できる土地を有効に活用しているといえます。大部分の土地は住宅と道路になり、駐車場や空き地になっている土地も、何かに利用されることが前提になっています。利用できない部分も綺麗に整備されて、もとの地形や川をあまり感じさせない雰囲気になっています。
翻って後者は開渠など、未整備の利用されない土地がそのまま残り、開発と未開発が混在しています。土地利用としては効率が悪いといえるかもしれません。お世辞にも綺麗で清潔とはいえない未開発の空間は、古臭さを隠しようもありません。
この見方では、前者は新しく洗練されていて、後者は古くて野暮ったいということになります。
では反対の見方をしてみてはどうでしょう。水の流れに着目していえば、見える印象からだと前者は水の流れが希薄です。雰囲気だけではなく実際に、流れる水量が少ないのではないかと思います。整備されて水の流れが断ち切られる以前から、あまり水量豊かではなく雨水を流す役割が主だったように感じられます。川としては早くに役目を失っている、つまり古い存在だったのかもしれません。そして古くて役割がないゆえに、開発され姿を失うこともできたのでしょう。
後者は水の流れが濃厚です。実際に開渠で流れを目にすることもでき、現在も水が流れていることがはっきりわかります。そして水路本体や周囲の様子からも、一定の水量が流れている川であることが読み取れます。川としての役割を保っているからこそ、開発されても姿が残ってしまったということになります。住宅地化したときには、またこの谷は現役使われる、新しいものでした。
川としての見方では逆に、前者は古くて不要なもの、後者は新しくて必要なものになってしまいます。
地上で新しいものが地下では古く、地上で古いものが地下では新しい、その相反する二面性を両者はもっています。それは千葉であって、埼玉である。中川低地という海に面していて、台地という島である。二面性をもったこの土地の因縁によっても飾られています。
埼玉応援記事と題しながら千葉の話題を前面に出してきてしまって反省しています。
もちろん千葉も埼玉もどちらも応援していますので、どっちも勝者になることを期待しています。
こちらの記事にも、続編はおそらくありません。
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by blognest
| 2016-03-29 23:42
| 千葉県好きですか
金杉台地の谷(2) 中川低地へ
金杉台地を北から南へ刻む谷を上流から下って見てきました。さらに下流に進む前に、東から合流する谷に寄り道します。
上流端付近には雨水調整池があります。池の上に鉄骨を組んで公民館が建っています。
谷底から上流端のあたりをみてみます。道の右側に立ち並んでいる住宅の奥に、擁壁を挟んで先ほどの雨水調整池があります。
下流に向かうと道は突き当たりのT字路になります。その先の住宅の間に狭いスペースが続いています。
わずかに蛇行する道。数十m幅の谷です。
谷底の空間が駐車場として利用されています。
車止めと側溝。水の匂いを感じます。
マンホールと舗装の小さな段差、そして家々からはみ出す花壇空間。整備されていない暗渠らしさが短い区間楽しめます。
正面に見えている道が本流です。合流手前でクランク状に曲がっています。
合流点から谷を振り返ります。谷底の様子が遠くまで見渡せます。
短いながらも密度の濃い支流でした。その支流と本流の合流点は、本流が東武野田線をくぐった先のすぐ下流にあります。線路が見えています。
本流を下っていく前に、少し遡って野田線との交差を確認しておきます。線路沿いからは谷地形がよく見えます。
もともとは築堤で谷を越えていたようですが、近年の複線化の際に法面を用地に利用したらしく、コンクリートの垂直の壁になっています。
暗渠の痕跡らしきものがありました。
上流側は完全な住宅街でしたが、線路から下流側は住宅と商店の混在した生活臭あふれる道です。
本流跡の道路の東側には、またしても駐車場になっている谷が現れます。
角度の関係で見通すことができませんが、谷の上流にはやっぱりこれ。
本流をさらに下っていくと、道が突き当たりに。
突き当りから上流を振り返ります。
短い区間ですが蛇行する蓋暗渠になっています。その蓋暗渠に派手に突き刺さっているパイプ。
広い道に出ます。暗渠の先に不自然に広い歩道が見えます。
すぐ下流で西から開渠が合流してきます。正面奥の交差点が蓋暗渠が道に出てくる地点、そのまま歩道になって手前に続いてきます。左に見えているガードレールと薄緑フェンスが合流する開渠。道路が橋状に盛り上がっています。
雨の後なので開渠には水がありますが、流れは淀んでいました。
開渠をあわせ南へ、下流に向かいます。
歩道の道幅がさらに広くなってくると、東側に雨水調整池が現れました。
暗渠から水をくみ出す巨大なポンプ。
雨水調整池を過ぎると、道幅は逆に狭くなっていきます。
r42にぶつかります。上流を振り返ると、暗渠とおぼしき歩道の幅はこれだけ狭くなってしまいました。
r42の西方向を見てみると、歩道に偽装?した蓋暗渠が下ってきています。
奥の、白い車が出てこようとしている道が本流です。蓋暗渠は1ブロックほどです。
さらに上流は開渠。これは西からやってくる別の川です。
r42の蓋暗渠はこの一部分しか確認できないのですが、状況を総合するとr42の下を暗渠排水が流れていて、今まで下ってきた谷の水はそこに流れ込んでいるようです。
この谷の探索はここまでにして、次回はそのすぐ東側を流れる谷をみていきます。
上流端付近には雨水調整池があります。池の上に鉄骨を組んで公民館が建っています。
谷底から上流端のあたりをみてみます。道の右側に立ち並んでいる住宅の奥に、擁壁を挟んで先ほどの雨水調整池があります。
下流に向かうと道は突き当たりのT字路になります。その先の住宅の間に狭いスペースが続いています。
わずかに蛇行する道。数十m幅の谷です。
谷底の空間が駐車場として利用されています。
車止めと側溝。水の匂いを感じます。
マンホールと舗装の小さな段差、そして家々からはみ出す花壇空間。整備されていない暗渠らしさが短い区間楽しめます。
正面に見えている道が本流です。合流手前でクランク状に曲がっています。
合流点から谷を振り返ります。谷底の様子が遠くまで見渡せます。
短いながらも密度の濃い支流でした。その支流と本流の合流点は、本流が東武野田線をくぐった先のすぐ下流にあります。線路が見えています。
本流を下っていく前に、少し遡って野田線との交差を確認しておきます。線路沿いからは谷地形がよく見えます。
もともとは築堤で谷を越えていたようですが、近年の複線化の際に法面を用地に利用したらしく、コンクリートの垂直の壁になっています。
暗渠の痕跡らしきものがありました。
上流側は完全な住宅街でしたが、線路から下流側は住宅と商店の混在した生活臭あふれる道です。
本流跡の道路の東側には、またしても駐車場になっている谷が現れます。
角度の関係で見通すことができませんが、谷の上流にはやっぱりこれ。
本流をさらに下っていくと、道が突き当たりに。
突き当りから上流を振り返ります。
短い区間ですが蛇行する蓋暗渠になっています。その蓋暗渠に派手に突き刺さっているパイプ。
広い道に出ます。暗渠の先に不自然に広い歩道が見えます。
すぐ下流で西から開渠が合流してきます。正面奥の交差点が蓋暗渠が道に出てくる地点、そのまま歩道になって手前に続いてきます。左に見えているガードレールと薄緑フェンスが合流する開渠。道路が橋状に盛り上がっています。
雨の後なので開渠には水がありますが、流れは淀んでいました。
開渠をあわせ南へ、下流に向かいます。
歩道の道幅がさらに広くなってくると、東側に雨水調整池が現れました。
暗渠から水をくみ出す巨大なポンプ。
雨水調整池を過ぎると、道幅は逆に狭くなっていきます。
r42にぶつかります。上流を振り返ると、暗渠とおぼしき歩道の幅はこれだけ狭くなってしまいました。
r42の西方向を見てみると、歩道に偽装?した蓋暗渠が下ってきています。
奥の、白い車が出てこようとしている道が本流です。蓋暗渠は1ブロックほどです。
さらに上流は開渠。これは西からやってくる別の川です。
r42の蓋暗渠はこの一部分しか確認できないのですが、状況を総合するとr42の下を暗渠排水が流れていて、今まで下ってきた谷の水はそこに流れ込んでいるようです。
この谷の探索はここまでにして、次回はそのすぐ東側を流れる谷をみていきます。
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| 2016-03-29 02:24
| 千葉県好きですか
金杉台地の谷(1) 西金野井の源流から
金杉台地の谷を巡ります。最初はR16西金野井交差点付近から、ほぼまっすぐに南下する谷を上流から辿っていきます。
金野井村は1641年の江戸川開削によって分断された村の一つで、埼玉県春日部市の西金野井、千葉県野田市の東金野井と二つに分かれています。
住宅地の中にぽっかりと穴が開くように、谷頭の部分が残されています。市民農園になっているようです。
外側から全容を窺うのは難しいのですが、東側の一角に源流の一つとおぼしき場所がありました。
谷の中に降りてみると、U字溝の水路が始まっています。
U字溝は20mほどで途切れてしまいますが、その横には手掘りの水路が続いています。
雨の後なので少し水が流れていました。U字溝の水は横の手掘り水路には流れず、住宅の下へと呑み込まれていっています。
谷頭の空間を出て西側に回りこんでみると、住宅の間に数軒分ほどの空間があり、中をU字溝が延びてきています。
U字溝の出ていく先から道路が広くなり、蛇行して南に向かっています。
この先は東武野田線との交差まで、谷底の一本道となっていて、特に川跡を偲ばせる痕跡はありません。
東武野田線と交わる手前の少し北側に、東から合流してくる浅い谷があります。少し遡ってみます。
谷底を含む空間が広いスペースとなって残っています。
フェンスの右側が谷筋、左側には雨水調整池がありました。
足元の谷筋には突き出た巨大なマンホール。
谷筋、マンホール、調整池を上流側から見ます。
この先上流は蛇行する道となってしばらく続いていました。
次回の記事では東武野田線から下流を見ていきます。
金野井村は1641年の江戸川開削によって分断された村の一つで、埼玉県春日部市の西金野井、千葉県野田市の東金野井と二つに分かれています。
住宅地の中にぽっかりと穴が開くように、谷頭の部分が残されています。市民農園になっているようです。
外側から全容を窺うのは難しいのですが、東側の一角に源流の一つとおぼしき場所がありました。
谷の中に降りてみると、U字溝の水路が始まっています。
U字溝は20mほどで途切れてしまいますが、その横には手掘りの水路が続いています。
雨の後なので少し水が流れていました。U字溝の水は横の手掘り水路には流れず、住宅の下へと呑み込まれていっています。
谷頭の空間を出て西側に回りこんでみると、住宅の間に数軒分ほどの空間があり、中をU字溝が延びてきています。
U字溝の出ていく先から道路が広くなり、蛇行して南に向かっています。
この先は東武野田線との交差まで、谷底の一本道となっていて、特に川跡を偲ばせる痕跡はありません。
東武野田線と交わる手前の少し北側に、東から合流してくる浅い谷があります。少し遡ってみます。
谷底を含む空間が広いスペースとなって残っています。
フェンスの右側が谷筋、左側には雨水調整池がありました。
足元の谷筋には突き出た巨大なマンホール。
谷筋、マンホール、調整池を上流側から見ます。
この先上流は蛇行する道となってしばらく続いていました。
次回の記事では東武野田線から下流を見ていきます。
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by blognest
| 2016-03-28 02:50
| 千葉県好きですか
庄内の"島"の成り立ち
千葉埼玉暗渠対決(勝手に)コラボ企画ということで、千葉県の暗渠を応援しています。
千葉県の応援だけでなく、埼玉県の応援も少しやってみます。
埼玉県といってもあまり埼玉県でないような、どちらかというと千葉県に近いような、でも埼玉県には違いない。そんな地域についてです。
最初は暗渠要素がありませんので暗渠が見たい方は次の記事からお願いします。
文章が読みたい方はこちら
千葉県の応援だけでなく、埼玉県の応援も少しやってみます。
埼玉県といってもあまり埼玉県でないような、どちらかというと千葉県に近いような、でも埼玉県には違いない。そんな地域についてです。
最初は暗渠要素がありませんので暗渠が見たい方は次の記事からお願いします。
文章が読みたい方はこちら
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| 2016-03-27 01:35
| 千葉県好きですか
坂川支流(3) 常磐線との交差と上流端
坂川支流(2) 野馬土手と堀の開渠の続きをさかのぼっていきます。
野馬土手をくぐった先は直線の暗渠になっています。フェンスで囲われていますが、途中からは上を通れるようになっています。
1ブロック先で蓋暗渠は途切れます。下流を見たところ。写真の手前側の蓋にはフェンスや車止めがありますが、奥側は歩道状になっていて、道路扱いのようです。地図を見ても一部分道路が太くなっているのが読み取れます。
同じ地点の上流側を見ます。脇の道路が狭くなり、道と一体の暗渠道になるのがわかります。ここまでほぼ直線の蓋暗渠でしたが、暗渠道は、すぐ先で太い道になるものの、蛇行しながら上流へ続いていきます。
暗渠道をさかのぼって、R6水戸街道との交差までやってきました。水戸街道はちょっとした盛土で川を越えているようです。奥に見える大きな団地が、この先暗渠の位置を掴む手がかりになります。
谷筋に建っている団地に沿って、常磐線の線路まできました。
目立つ痕跡はありませんが、信号機の土台に使われている構造物や、線路脇の道と側溝の蓋が橋状に盛り上がっている様子から、この地点で暗渠が常磐線をくぐっていることが読み取れます。
近くの歩道橋上から谷をまたぐ常磐線を見てみます。中央左寄りに見える団地が谷筋を示しています。ゆるいサグ地形になっていて、線路は谷筋に向かって下ってからまた上っていきます。
常磐線との交差の上流側には少しだけ蓋暗渠がありました。丁度工事中ですが、埋めて暗渠道になってしまうのでしょうか。
下流方向を見てみます。正面に谷筋の大きな団地が見えています。
上流に向かいます。写真のように工事中の先は、蛇行する暗渠道になっています。
旧水戸街道と交差します。
旧水戸街道から上流は、再び蓋暗渠です。アスファルト道路と一体化して太い道になっていますが、上の写真にも写っている電柱の支柱が鎮座していて、自動車が通ることは想定していないようです。
真新しい橋状の構造物がありました。
暗渠の幅が細くなり、上流端を予感させます。
道路と交差した先で蓋暗渠は折れ、そこで途切れています。
蓋暗渠は写真奥を右から左に横切って手前側に折れ、写真左端奥から未舗装の細長い荒地になって手前に出てきます。このあたりが上流端のようです。
上流端の近くには、手押しポンプの井戸がありました。民家ですが住人はいないようです。
豊四季駅からぶらぶらと歩いて、南柏駅の近くまでたどり着きました。この近くにはさらに別の坂川支流富士川の支流の谷頭があって、、、と、この先も魅力的なのです。北総の台地を開析する無数の谷、それも千葉県の魅力の一つです。ですが今回はここまでで、千葉県応援記事は終わります。
続編の予定はありません。
野馬土手をくぐった先は直線の暗渠になっています。フェンスで囲われていますが、途中からは上を通れるようになっています。
1ブロック先で蓋暗渠は途切れます。下流を見たところ。写真の手前側の蓋にはフェンスや車止めがありますが、奥側は歩道状になっていて、道路扱いのようです。地図を見ても一部分道路が太くなっているのが読み取れます。
同じ地点の上流側を見ます。脇の道路が狭くなり、道と一体の暗渠道になるのがわかります。ここまでほぼ直線の蓋暗渠でしたが、暗渠道は、すぐ先で太い道になるものの、蛇行しながら上流へ続いていきます。
暗渠道をさかのぼって、R6水戸街道との交差までやってきました。水戸街道はちょっとした盛土で川を越えているようです。奥に見える大きな団地が、この先暗渠の位置を掴む手がかりになります。
谷筋に建っている団地に沿って、常磐線の線路まできました。
目立つ痕跡はありませんが、信号機の土台に使われている構造物や、線路脇の道と側溝の蓋が橋状に盛り上がっている様子から、この地点で暗渠が常磐線をくぐっていることが読み取れます。
近くの歩道橋上から谷をまたぐ常磐線を見てみます。中央左寄りに見える団地が谷筋を示しています。ゆるいサグ地形になっていて、線路は谷筋に向かって下ってからまた上っていきます。
常磐線との交差の上流側には少しだけ蓋暗渠がありました。丁度工事中ですが、埋めて暗渠道になってしまうのでしょうか。
下流方向を見てみます。正面に谷筋の大きな団地が見えています。
上流に向かいます。写真のように工事中の先は、蛇行する暗渠道になっています。
旧水戸街道と交差します。
旧水戸街道から上流は、再び蓋暗渠です。アスファルト道路と一体化して太い道になっていますが、上の写真にも写っている電柱の支柱が鎮座していて、自動車が通ることは想定していないようです。
真新しい橋状の構造物がありました。
暗渠の幅が細くなり、上流端を予感させます。
道路と交差した先で蓋暗渠は折れ、そこで途切れています。
蓋暗渠は写真奥を右から左に横切って手前側に折れ、写真左端奥から未舗装の細長い荒地になって手前に出てきます。このあたりが上流端のようです。
上流端の近くには、手押しポンプの井戸がありました。民家ですが住人はいないようです。
豊四季駅からぶらぶらと歩いて、南柏駅の近くまでたどり着きました。この近くにはさらに別の坂川支流富士川の支流の谷頭があって、、、と、この先も魅力的なのです。北総の台地を開析する無数の谷、それも千葉県の魅力の一つです。ですが今回はここまでで、千葉県応援記事は終わります。
続編の予定はありません。
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| 2016-03-09 00:19
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